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2012年8月22日 (水)

真夏に松本清張を読み始める

  ミステリーものの映画はよく見てきたが、この夏、初めて推理小説に
 手を出してしまった。
 絵画のことなら多少の知識もあり、何とか読み進められるのではないかと
 松本清張の「天才画の女」を読み始めた。

  しかし、なかなか、講釈が多くて、いつミステリーが出現するのか?
 と思って読み進めていく間に、
 松本清張の術中にはまっていたのかも知れない。

 解説もしっかり読むと、「真贋の森 (中公文庫) 」も類似の推理小説だというので
 現在は、これを読んでいる。

 作家の生い立ちや思想にもことさら興味があるので、
 「半生の記 (新潮文庫) 」も読んでみた。

 朝鮮への出兵のことが、生々しく語られていた。
 折しも、「竹島」だの、「尖閣諸島」だのと日本の領土問題が世に
 あからさまになっている。

 この真贋と領土問題を頭の中でまぜこぜにして考えてみると
 実に、真実というのは、「贋物」に押しつぶされて薄っぺらな存在だが、

 一方で、薄っぺらなのに、
 誰にも真実を変えられず、破れない為に、

 「贋物」を何とか引っ付けようとしてもってくるのだなということが、
 清張の推理小説の中にも展開されていて、不思議だった。

 科学者の常識からしても、
 「なぜ、自分の国の領土に行くのに罰せられるのか?」
 摩訶不思議な日本である。

 また、自分の国の領土に行くのに、海外で大騒ぎされるのも、
 有り難すぎるのである。

 科学には以外に、本当の真実は少ないと思っている。
 むしろ、「贋物」を「贋物」としてけじめをつけることで、
 ある科学の分野は、以外にも進歩することが少なくない。

 日本の国家の進歩は、いずこなのだろうか?
 松本清張を読みながら、やけに真夏の太陽が暑苦しい今日この頃である。

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2012年8月 8日 (水)

原子力という高度な科学を商売にする矛盾と大惨事

Dr.Katoの実家は、1996年、住民運動によって阻止した巻原発まで
 数キロメートルのところに位置している。
 すなわち、柏崎原発からも数十キロメートルの位置である。

 他界した漁師の祖父と巻原発付近の海まで船でよく行った。

 そのために、原子力発電には、人ごとではなく、随分前から注目してきた。

 しかし、
 「電力会社は、明確におかしい」という事実を目の当たりにしたり
 実際にそのような考えを持ったことはなかった。

 ところが、
 「原発事故は津波以前に起きていた。」という国会事故調報告の
  調査・検証事実に基づくと、東電は大変な組織であることになる。

 なぜ大変なのか、科学的に論証できる。

 まず、電力会社は、
 原子力という高度な科学を商売にしている会社なのである。

 高度な科学とは、何か? 
 高度な科学ほど、嘘の確率がどんどん低くなることを意味している。

 ニュートン力学、宇宙物理学、素粒子学、・・・
               みな高度な確率論の上に成り立っている。

 ところが、人を小馬鹿にするのもいい加減に!と思われるほど、
 東電は「津波によって、原子力事故が起きた。」と信じているのである。

 これは、事実のねじ曲げである。
 
 この事実のねじ曲がりが事実だとすると、東電は大変な組織なのである。
 嘘をつくために必死になる。

 ところが、科学者が必死になっても答えは決まっている。
 サイエンスの世界は、故意な嘘があってはならない。

 原子力という高度な科学を商売にしている会社は、
 やはり、故意な嘘があってはならない。

 科学の世界では、サイエンスを商売にできる人格を厳しく追及される。
 会社であれば、サイエンスを商売にできる法人格を厳しく追及される。

 一連の出来事は、日本人のサイエンスが、未熟なことを示している。
 事実は変わらないのに、人が介在して事実がねじ曲がる、
 これが「人災」なのである。

 日本という国家を強固なものにしようとするならば、
 この程度の嘘は、つくべきではないのである。

 未曽有の大惨事が、
 「人災」によってより巨大化しているのではないだろうか。
 いまも、それが継続していると思うと眠れない。

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