------------------------------------------------------------
現代に生きる我々は、過去の文献をみて、今の方が進んでいると多くの人が
錯覚しやすい。
なぜなら、過去にないものを現代人は持っているからである。
原発、原爆、インターネット、携帯・・・
しかし、過去にも持っていた多くの事柄にはなかなか目を移して比較しない。
戦争、勉強、人生、日本の文化・・・
はたして、過去にないもの持つと人類は進歩していることになるのだろうか?
脳は成長を求めて人生を走り続ける。
その走る先は、過去にないものを求めるのか?
過去にも持っていたものを求めるのか?
脳は、極めて敏感な臓器である。
その敏感さ故に、人の作為や思想、生活観に至るまで、
その形状に反映して、ご主人の思いを実現させようとするようにみえる。
時にご主人がその走る先を知らなくても、また意識しなくてもである。
数少ないDr.Katoの座右の書「うひ山ぶみ」(本居宣長)を折に触れて
読み返すと、自ずと自分の脳の働きがいつの間にか初学者としての
学びの心得から遠ざかっていることに気がつかされる。
科学者にとって、初学者としての心得を実践していないとまず、間違いなく
いい方向には行かない。
本居宣長が「うひ山ぶみ」で述べている心得は、
敏感な脳を扱うご主人必須の心得であると思う。
「道の学問」の一節をご紹介いたします。
「又、件(くだり)の書(ふみ)どもを早くよまば、
やまとたましひよく堅固(かた)まりて、
漢意(からごころ)におちいらぬ衛(まもりにもよかるべき也。
道を学ばんと心ざすともがらは、
第一に漢意(からごころ)・儒意(じゅごころ)を清く濯(すす)ぎ去りて、
やまと魂(たましひ)をかたくする事を要(かなめ)とすべし。」
講談社学術文庫の白石良夫全訳注を参照すると
上記の一節は、
「それらの書を早いうちに読んでおけば、大和魂が堅固になって、
漢意におちいらないようになる。
道を学ぼうとする者は、第一に漢意・儒意をさっぱりと洗い去って、
大和魂を堅く持つことが、なによりも肝腎なのである。
Dr.Katoは、小中高となかなか国語が好きになれなかった?
その理由は、当時、全く分からず、浪人時代には、
国語を好きになるために、住まいを神田神保町の本屋街に移した。
国語が本当に好きになったのは、この本居宣長の「うひ山ぶみ」の解説を、
駿台予備校で聞いてからだった。
今なお、Dr.Katoと同じように国語が好きになれない学生は
すくなくないかも知れない。
Dr.Katoが国語が好きになれなかったのは、軽い難読症があって、
文章がすらすら音読できなかったことだけではなかった。
国語の目的が明確でなかったからである。
国語は、漢字を習うことでもない。あいうえおをうまく扱えることでもない。
「大和魂」を習うことである。
小学生1年の時に、あなたたちは日本に住み、日本の魂、
「大和魂」を習うために、国語が必要です!
と教師が教えてくださっていたら、もっと早くに、
日本の「大和魂」が好きになっていたと思う。
これは、教えてくれなかった教師の力不足ではない。
文部省の定める教科内容に、
「大和魂」を習うこと
が割愛されて、国語が技法に化けているからである。
「将来、科学者なる卵が、国語教科の技法教育に化かされなかっただけ
のことであった。」
と知ったのは、それから、40年以上も経った後である。
「大和魂」を習うこと!
は、日本文化の荒廃をすこしでもくい止めると思う。
-----------------------------------------------------------
【第10回脳科学講座】~脳科学講座 総括講義~
2012年5月12日(土)13:00-15:00