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2011年11月18日 (金)

50歳の脳のままで100歳まで成長する脳の鍛え方

 スポーツ選手の旬は、ほとんど20代にあります。
 しかし、スポーツの監督の旬は、50歳でも旬とは言えないのでは
 ないでしょうか?

 では、何故、選手の旬が若くて、監督の旬はさらに30年以上も経って
 からなのでしょうか?

 これは、選手と監督とでは、全く違った脳番地を使って
 いるからです。

 スポーツですから、強い肉体、柔軟な筋肉、筋肉に明晰な指令を出す脳の
 それらが一体化しなければなりません。

 監督業は、最悪、車椅子にすわったままでも、指示が出せます。
 しかし、選手は、脳と筋肉を連動させて動き、躍動しなければ勝負になりません。

 監督は、選手時代には使わなかった脳番地を使います。
 情報収集とその分析、さらに、その情報分析に基づく、戦略立案と決断と実行です。

 これらの脳番地は晩年に成長するので、より一流のスポーツの監督は、
 年齢が高くなります。

 つまり、年を取って、理想的なことは、現役選手のもつ躍動感、行動力を
 保ったまま監督になっていることです。

 そうすれば、運動系の能力を保ち、かつ、高度な情報分析と判断力、
 戦略立案が出来ます。

 この選手と監督との関係は、私たちが、100年の人生を
 生き抜くための大きなヒントを示しています。

 2005年、ロスアンゼルスで行った講演「老化に挑むー脳ハウ17話」(DVD
 では、50歳の脳のままで100歳まで成長することができている人たちの
 実例とその驚きがスライドとともに収録されています。
 http://www.nonogakko.com/media/dvd_los.html

 あなたも自分の50年後の脳のために、
 今からできる日常生活の工夫を実行してみましょう。

 21世紀社会の新しい価値観は、「100歳まで成長する脳」と
 「100歳まで脳を成長させる生き方と医療、教育、社会」が重要な
  テーマと考えています。

  新刊 「100歳まで成長する脳の鍛え方」(主婦の友社)には、
 長寿大国日本が示すべき道を述べています。
 (前書き、目次を立ち読みすることができます。

新刊ラジオにて、15分間、100歳まで成長する脳の鍛え方
楽しく紹介されています。
ラジオを聞きながら「いくらでしょうトレーニング」をやってみましょう。

11月18日ー12月1日(木)丸善丸の内本店2階I-1にてキャンペーン中です。

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2011年11月10日 (木)

未熟児新生児の低酸素性虚血性脳症から得られた脳酸素のヒント

 戦前戦後通じて、日本の新生児、乳幼児死亡率は、世界的にみても
 最悪の状況でした。

 昭和の後期に入り、日本経済が勢いを増すとともに
 子どもの死亡率は低下していきました。
 
 現在では、未熟児新生児の集中治療室が機能し、日夜働き続ける
 医療スタッフによって、すくすくと子どもが育つ環境があります。

 その一方で、未熟児新生児期の脳の後遺症に悩まされる子どもたちは
 少なくありません。

 その代表的な疾患が、低酸素性虚血性脳症です。
 これは、重度の仮死状態で生まれることで、脳に障害を来す病気です。

 名のごとく、低酸素になり、血が足りなくなり、脳に障害が起こります。
 Dr.KATOは、脳に障害を持った多くの子どもたちと長年向き合ってきました。

 そして、彼女や彼らが脳から発したメッセージを受け取りました。
 そのメッセージは、
 「どんな状況でも命あれば、脳はいくつになっても育ちたい!」です。

 Dr.KATOは、決意しました。
 この彼女や彼らの脳から受け取ったメッセージを
 世界中に伝えて、彼女や彼らの存在価値、人生の意義をもっと価値ある事実に
 しよう。それなら、自分でも力になれる。

 そうして、脳の学校が2006年に設立されました。

 実は、もう一つDr.KATOが彼女や彼らから受け取ったメッセージがあります。
 それは、これから始まる「脳酸素の時代」への扉を開くヒントでした。

 低酸素性虚血性脳症は、英語で、Hypoxic Ischemic Encephalopathy,
略して、HIEと記述します。

 ところで、なぜ、「虚血性脳症」「低酸素性脳症」ではないのでしょう?
 低酸素性と虚血性が2つ並ぶのは病名として曖昧すぎる
 Dr.KATOは、かつて、そのように疑問を抱きました。

 この疑問を世界的に権威ある脳発達病理学者 高嶋幸男博士にお聞きしました。
 そうすると、「実際には、厳密に、虚血だったのか?低酸だったのか?
 この2つは同時に起こっていることが多く区別しにくいよ」ということでした。

 そこで詳細に調べていくと、動物実験でも、虚血を作り出すと低酸素もおこり、
 低酸素を起こすとと脳血流が上がったり下がったりする。
 つまり、なかなか厳密に分けられないが、低酸素による場合と
 虚血による場合では、脳の病変は、明らかに違うことが分かってきました。

 実際に、MRIで脳病変と臨床状態をマッチさせてみると、詳細に一致することが
 分かってきました。
 今では、MRIで脳病変を確認するだけで、出産前後で何が起こったかを鑑定することは
 臨床の現場だけでなく、裁判鑑定のレベルでも可能になっています。

 しかし、それだけの厳密性に満足せず、数式のレベルで、かつ、脳計測のレベルで
 厳密に、虚血だったのか?低酸だったのか?を定量的に診断できる技術に力を注ぎました。

 その結果、手にしていたのが、数式のレベルでは、「酸素交換波動方程式」です。
 脳計測のレベルでは、脳活性化を定量する「COE脳計測法」です。

 Dr.KATOは、生まれながらにして、人生の出発点で、
 脳に障害を持った彼女や彼らが脳から発したメッセージを
 必ず世に伝え、世を変え、世に残します。

 なぜなら、それなら、自分でも力になれる。
 そう、思うからです。

○参考 脳科学入門! 『脳科学の基本講義シリーズ(テキスト)』 
     https://www.nonogakko.com/autores/appli_book.html

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脳機能NIRS誕生がもたらした脳血流ブーム

今は、皆が自分に脳があることを知り、そしてその働きを意識しながら
 生きています。

 そして脳が、神経細胞と、その働きを支える血流や酸素消費によって
 活動を続けていることを知っています。
 そして知っているだけではなく、その仕組みを理解して、
 より良い脳の働きを引き出そうとしています。

 
 ■■■ 「大発見だっっ!!」 ■■■

 今から20年前の1991年、Dr.KATOは「国立精神神経センター」という
 国の直轄機関である研究施設で、脳の研究を行っていました。

 それまでずっと小児科で寝る間もなく奮闘していたDr.KATOにとって、
 研究に没頭できる時間を与えられて、
 ドキドキ・ワクワクの日々を送っていました。

 1991年6月までDr.KATOが勤務していた新生児集中治療室(NICU)を
 完備した大病院の小児科では、まさに寝る間もない診療に
 追われていました。

 「小児科診療では、子どもがどこが痛い、悪いと表現する事なく、
  あっという間に重症化するから、入院患者を持ったら目が離せない」
 とDr.KATOは言います。

 1か月に家に帰ったのはほんの数回、それも着替えを取りに
 戻っただけで、家でゆっくり休む間もなかった日々を送っていました。

 出産前に既にリスク児と分かっている場合には、分娩室で待機し、
 生まれたばかりの未熟児を受けとって、NICUに駆け込む。

 脳に疾患がある子のMRIを繰り返し撮影し、病状の変化と共に
 日々変化していく脳の様子を見るにつけ、
 「ベッドサイドで、もっと簡単に脳の働きを把握できる方法はないか」
 と考えながら、子どもの脳死や脳の発達を研究していた最中で
 決まった移動でした。

 その思いを叶える発見は、神経センターに着任してわずか1~2ヵ月後に
 実証されました。

 浜松ホトニクスという医療機器メーカーの酸素モニター装置が
 置いてあるのを研究室で見たDr.KATOの脳裏には、
 「これだ!」という閃きが走ったと言います。

 そして20年前の1991年、自らのアイディアを確信し、
 研究室に響いたDr.KATOの「大発見だっっ!!」という言葉とともに
 NIRSという脳血流による脳の活性化モニターが誕生しました。

 そしてそれは、脳科学の中の“脳血流の時代”の始まりを
 告げた号令であったのでした。

 ■■■ 1990年代~2000年代の脳血流の時代 ■■■

 1991年にNIRSが発案されたのとほぼ同時期に、
 MRIの技術を応用した「機能的MRI(fMRI)」が誕生しました。

 NIRSとfMRIは、装置としての原理が異なるものの、
 いずれも脳のはたらきに伴う血流の増加を観察する手法として、
 脳科学の分野で広く用いられるようになりました。

 今では、年間数千を超えるそれらの論文が発表され、
 どんな状態で血流が増えるのか?という疑問に対する知見が
 積み重ねられてきました。

 しかし脳血流を追い続けた20年もの間、
 その知見が積み重ねられたにも関わらず、
 医学や新技術に役立つ技術や発見に至らなかった分野であるという事実が
 ここ数年で浮き彫りになってきました。

 装置を使えば何らかの結果が出て来るため、論文は量産されますが、
 どんどん前進しているかに見えたこの分野の成果は、
 医学やその他の分野に革命的な貢献をすることはありませんでした。

 なぜだろう・・・?
 論文の本数や偉大な賞にこだわらない、本当の科学者ならば、
 「見ていた窓が違ったんだ」ということに気が付きます。

 もちろん、この20年、「血流ではダメだ」と主張してきた科学者は
 世界にも存在しました。

 しかし科学には少数派がつきもので、
 東北地方に巨大地震が来ると予測していた少数派の意見が無視されて
 いたように、
 血流という自然科学を覗く窓の危うさに警鐘を鳴らしていた人々は
 少数派として、脳血流の波にのまれてきたのです。

 ■■■ 2010年代からの脳酸素の時代 ■■■

 大多数派は、無視してきた少数派の予見が的中して、
 未曾有の巨大地震が起こった時、口をそろえて「想定外だった」と
 科学の未熟さを主張します。

 湯川秀樹の「真実はいつも少数派」という言葉は
 まさに科学の真髄をついた名言です。

 「科学はいつも正しい」と誤解している日本人にとって、
 この言葉は理解しにくいかもしれません。

 しかし科学者も人。勇気をもって少数派に足を踏み入れて
 援助を受けにくい研究生活を送れる人は多くはありません。

 脳科学のNIRSやfMRIを使っている科学者の大多数派は、
 この20年、脳血流の窓を覗いてきました。
 その窓から脳の中を見れば、そこに真実が見えているような
 気がしたからです。

 しかし少数派は、別の窓を探そうとしてきた20年でした。
 少数派は群れを成して派手な結果を主張することよりも、
 ただひたすらに、自分の見ている窓から見える景色が
 昨日よりも真実に近づいているかどうかを絶えず自分に問いかけます。

 Dr.KATOは、酸素という窓から脳の真実を捉えようとしている科学者です。
 そして、脳血流をすべて否定するのではなく、
 酸素が血流に乗って脳へたどり着くメカニズムから、
 その両者の調節関係をきちんと評価することで、
 より脳のはたらきの神秘に迫ることができると考えています。

 世の中には、色々な角度から物事を検証する科学があります。
 それらは互いに相容れないものではなく、補い合って、
 全体論として統一される日が来るのを待っているのでしょう。

 この20年、蓄積された脳血流の知見は決して無駄なものではなく、
 これからの新しい窓から見た知見と組み合わさることによって、
 次のステージへ進むための材料になります。

 12月11日は、その次のステージへ進みたい人たちが集って、
 これからの10年、20年の脳の捉え方を学び合う場です。

 Dr.KATOだけでなく、20年前のNIRS発見を報告した論文の共著者が
 それぞれ20年前にどんな感覚をもっていたのか、
 20年後の今、何を見据えているのか、そして最新の技術は何なのかを
 分かりやすく提示し合って、次のステージへ向かう準備を整えます。
 

 ――参考――――――――――――――――――――――――――――

 ※この内容は、12月11日に行われる
 「脳の健康医療セミナー2011」の下記の講演で紹介されます。

  I.脳機能NIRS誕生 20周年記念講演
     演題:脳機能NIRS研究のプロローグ
     講演:高嶋幸男先生

     演題:脳機能NIRSイメージングの誕生からCOEへの発展
        ~1991年からの出発~
     講演:加藤俊徳

  ぜひ貴重な講演を生でお聞きください!
  http://www.nonogakko.com/research/brf2011.html
 ――――――――――――――――――――――――――――――――

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2011年11月 2日 (水)

女子力と母力を高める「女性のための脳の学校」

「女性としていかに生きるか」
 これは、人類の半分を構成する人たちの永遠のテーマです。

 脳の学校では、今週、福岡で二日間にわたって「女子力と母力を高める
 女性のための脳の学校」を開催しました。

 脳の成長から見たら、女性をどのように捉えることができるのでしょうか?
 今回、「女性のための脳の学校」では、女子力と母力を脳から診断して
 「女子力と母力を脳から育てる」企画を行いました。

 ここで、使われる女子力とは、「自分の為に脳番地を活かす力。
 社会的には陽性のはたらき。自分を成長させる“脳力”。」と定義しました。

 一方、母力(ははりょく)とは、「他人の為に自分の脳番地を活かす力。
 社会的には陰性のはたらき。人を成長させる“脳力”。」と定義しました。

 こうして、女子力と母力を定義すると脳の成長から多角的に女性像を
 捉えることができます。

 今回、「女子力と母力を高める女性のための脳の学校」に参加された女性には
 全員、事前にネットを介して、「女子力・母力SRI脳番地診断」を受けてもらい
 当日、結果と共に女子力育成と母力育成のポイントを講義しました。

 女性の一人一人が、未婚、結婚の有無、子どもがいる、いないにかかわらず、
 女子力と母力のバランスが異なっています。

 脳には脳番地があって、個人個人でその成長が違うというのメカニズムから
 考えると、女子力や母力は決して同一のものではなく、
 脳番地の成長のバリエーションの数だけ
 女子力にも母力にもバリエーションがあっていいのだと考えています。

 20~30代の若い女性たちの脳の成長から、
 女子力、母力を診断すると一人一人の良さと未熟さがはっきり見えてきます。

 そして、今はまだ未熟な自分の脳を、自分が目指す女性になるために、
 良き母になるために、もっと向上させようという想いは
 自然と湧いてくるものだということを目にしました。

 日本は古来から女性が支えてきたという考え方もあります。
 実際に、日本の未来は、日本の女性、日本の母に託されていると言っても
 過言ではないと私は考えています。

 サッカーのワールドカップで女子チームが優勝したことが
 これだけ日本に勇気を与えているのも納得です。

 20~30代の若い女性たちが、次の5年、10年後の女性像に向かって
 自分の脳をしっかり見つめて、さらに進もうとしている姿から、
 日本の未来も捨てたものではないとはっきり確信して、
 福岡を後にしました。

【第13号】脳スクールタイムズ~60秒の脳科学~
Dr.KATOの週刊エピソードより

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