9回2死、あきらめていなかった日本文理の脳番地
---高校野球優勝旗は清水トンネルを越えず
こころのトンネルを突き抜け日本海の夕日をみる2009---
毎年、新潟の実家で過ごす夏休みのお決まりの風物詩は、
照りつける太陽、青い海、緑の山、
蝉とキリギリスの鳴き声のオーケストラ、
そして、テレビから流れる高校野球甲子園からの応援です。
スイカを半分に切って抱えながら
テレビで、高校野球甲子園を見ることもしばしばです。
今年の夏は、はじめ日照りが少なく、
母の育てたスイカやメロンの糖度はいまひとつでした。
しかし、高校野球の熱戦は、濃厚でした。
日本文理3番武石君の祖母は私の実家の村から出ていると耳にして、
応援には一層、熱が入りました。
実家の両親や妹夫婦も仕事が手につかず、応援に熱中していました。
新潟県代表の日本文理高校が初めて決勝に進み、
9-10で負けはしたものの、9回2死からの驚異的な
追い上げで、1打同点まで中京大中京を追い詰めました。
5歳の頃、祖母と新潟から東京までおよそ10時間、列車に乗って
漸くたどり着きました。
20歳の頃には4時間半、そして、今は片道、2時間ほどで
新潟ー東京間を行き来できます。
つまり、科学技術の進歩によって、40年ほどで5分の1の時間に
短縮されたのです。
この間、私の母校長岡高校も2度甲子園出場しました。
しかし、新潟県の高校野球は、春夏ほぼデルトマケの状態が続きました。
この列車の旅でもっとも印象的な時間帯が、
真っ暗な長い清水トンネルを通過している時です。
この様子は、川端康成の小説「雪国」にも出てきます。
ところがこの雪国こそが足かせであった新潟県の高校野球の
コンプレックスを今日、すべて取り除いてくれました。
最後まであきらめず自分たちの野球を3アウトまで夢に向かう姿は、
すばらしい光景で勇気をもらいました。
新潟県の長い歴史の中で、今日ほど県民を誇らしくした日があったでしょうか?
高校野球で準優勝チームが優勝校より輝いて見えたのは私だけではなかったでしょう。
まるで、映画のストーリーを見ているようなバントしない!スクイズしない!
自分の信じた一球を選んで思いっきり打つ!!!
その結果、今日の9回2死からの驚異的な追い上げが生まれました。
負けたのに笑顔が即座にみんなから零れ落ちました。
栄冠とは何か?
この感動を与えることができる勇者たちのことではないでしょうか。
ありがとう「日本文理ナイン!」
--------------------------------------------------------- しかし、彼女たちが3年生の時には残念ながら Y君は、今年、審判員として甲子園に参加しました。 Y君は日頃の努力の積み重ねによってこの幸運を現実のものにされました。 夢はあきらめず近くに手繰り寄せるもの、 --------------------------------------------------------------
◎今年の夏はもう一つ大きな力をもらった出来事がありました。
妹は、高校時代、野球に熱中しマネージャーをしていました。
幸運にも、1年マネージャーの時、
野球部が新潟県代表で甲子園に行きました。
新潟県代表になることはできませんでした。
ところが、卒業しても30年あまり甲子園出場をあきらめていない妹の
同僚のY君がいました。
北信越地区でただ1人の代表でした。
北信越地区の代表が新潟県に順番が回ってくるのは
6年に1回だそうです。
暑いさなか妹と甲子園を目指す甥はY君の応援に甲子園に行きました。
目標は何年かかっても実現すべきもの
そのためにも、脳はあるのだ
とテレビでY君の審判する勇姿をみて胸が熱くなってきました。