盆踊りで運動系脳番地がリフレッシュ
今週の社長のひとこと---------------------------------
8月1日の夕方、崩落したミネアポリスのミシシッピ川にかかる
35Wの橋の近くを通って、6年間ほとんど毎日のように、
ミネソタ大学に行き来していました。
崩落した橋は、同じミシシッピー川にかかる橋の多くに比べて見た目も
かなり貧弱な感じは否めませんでした。
この6月に行った時も35番を車で走りながら友人が、最近は、
車の交通量が増えて大変だとこぼしていました。
実際に、4-5年前に比べると、交通渋滞が頻繁に起こっている
ように感じました。
昨日は、そんな先週のアンニューィな出来事を吹き払おうと品川区の盆踊りに
出かけました。太鼓を息子が叩くというので応援に行ったつもりが、
自然と踊りの輪の中に入って、久しぶりに見よう見真似で、踊り始めました。
ところが、「東京音頭」「炭坑節」さらには、「品川音頭」とかわるがわる流れる
曲に、ほとんど踊る手足がバラバラになり、いっこうに覚えられません。
上手な年配者の踊りをよくよく観察すると、盆踊りは左右対称に手も足も動かすように
うまく構成されていることがわかります。
生まれ育った新潟の地元の盆踊りなら、体はスイスイ動くのに、
東京、品川音頭に醜態をさらしてしまいました。
心理学者なら、この新しい盆踊りを習う過程を、手続き記憶(procedure memory)と
称して、説明するかもしれません。
しかし、そんな学者のノウガキより、踊るチャレンジが大事です。
普段、ほとんどの人が、歩くこと以外では生活の中で非対称な体の動きで、
運動系脳番地を使っています。見よう見真似の盆踊りは、結構
運動系脳番地をリフレッシュして、脳番地力をアップさせると思います。
日本文化はこうして、違う土地から来たよそ者も、盆踊りを身につけ、
その土地の祭り行事を通じて、一人前の地元人になるように構成されて
きたのかも知れません。
ミネアポリス生まれの息子は、すっかりいい調子で太鼓を叩き、
親よりもいちはやく地元人に同化しているようでした。
----------------------------------------------------