医学生の成績と医者になってからの成績は一致しない?視診力を鍛える
今週の社長のひとこと-----------------------------------
もうじき入学式や入社式を迎える若者が多いと思います。
医学部を卒業した医学生も、もうじき研修医の生活が始まります。
偉いヒトの訓辞からはじまる入社式と違い医者には、大それた
病院勤務の開始式などほとんど聞いたことがありません。
ある企業では、優秀な学生は最初から幹部候補生
としてエリート教育を施されるのだそうです。
企業のエリート教育には、それなりの意義があるでしょう。
大学で専門性の基礎を身につけた優秀な人材をさらに
教育して、より専門性を高めることです。
このエリート教育の前提にあるのは、学生の成績と
その後、社員になった成績とに、高い相関性があるという前提です。
では、この学生時代の成績と社会人としての成績には、
本当に一致性があるのでしょうか?
わたしは、この一致性の確立はほぼ50パーセントぐらいでは
ないかと予測しています。
その理由は、20歳前後の脳から見た成熟度は、その後の脳の
成長と比較するとまだ50パーセントぐらいだからです。
50パーセントの確率とは、十円玉を天井に投げて、表か裏がでる
確率です。
すなわち、どちらにも転ぶということです。
さて、医学生の成績と医者なってからの成績には、相関があるのでしょうか?
多くの医者は、この一致性に、本当は疑問視しているのではないかと
思います。
まさしく、経験的にさほど当てにはならないと思っているのではないでしょうか?
では、なぜ、医学生の成績と医者になってからの成績は一致しないのでしょうか?
またこのような疑問も湧いてきます。
医学生の成績と医者の成績が一致しないのに、どうして、
学校の成績のよい学生が、医者になる傾向があるのでしょうか?
最初から、医者に要求される技量をなぜ学校で教えないのか?
そのような疑問がでてくるのは当然のことでしょう。
医学生の中には、医学部に入ってもさらに高い成績をめぜして
がつがつ勉強する学生もいます。
これは、おそらく、大学入試の後遺症が医学生になっても
残っているのではないかと思います。
この後遺症は、結構、シリアスな病気ではないかと思います。
その症状は、既成の知識を再び暗記することに多くの時間を
割くことです。
あるいは、周囲より点数で、数値化して勝りたいという
コンプレックスの持続です。
確かに、医学部では、新しい知識を山ほど記憶しなければなりません。
しかし、新しい知識は、医学生にとっての新しい知識であって、
医学界としては、既成の知識です。
医者の成績あげるためには、既成の知識を獲得する能力では、まったく
不十分です。
その理由は、明らかです。
一人一人の患者様の病状は、診断された病気と共通点があっても
やはり、一人一人異なった訴えなのです。
そのために、医者は、新しい知識を患者様のために獲得しなければなりません。
結果的に、患者様とのコミュニケーションが取れなければ、より多くの情報を
取得することもできません。
視診といって、眼で診断する能力を養わなければなりません。
医者には、特に、視覚判断力が必要です。
ところが、医学生には、この視覚判断力、視覚情報収集能力、視覚分析力が、
総じて育っていないと感じています。医学生や医者に脳画像の説明をしても、
パターン化されたクイズに答えるような思考になってしまいがちだからです。
特に、画像診断分野のエキスパートになるためには、この視覚判断力、
視覚情報収集能力が、必要になってきます。
内科、外科でも眼で見ることは重要です。
本来は、新しい知識を画像や症状から視覚的に感じて、
それを言語化して伝えなければなりません。
しかし、当てはめ画像問題、視覚問題だけ正解することができるような思考になり
応用性に欠けることになります。
医学部受験では、言語能力の高さだけが問われているのかも知れません。
視覚判断力、視覚情報収集能力、視覚分析力は、一夜漬けでは、育ちません。
幼少時より、訓練する必要があります。
おそらく、お受験に始まり、医学部を卒業するまで、
この医者にもっとも必要な「視診力」の育成が
欠けているのではないかと感じています。
脳の学校では、この「視診力」を鍛えるプログラムを構築して
子どもや大人の教育に望んでいます。
いい医者の見分け方は、視診力の高さです。
いい医者は、視診力に優れます。
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